『写真』
「こんなの、諜報部の仕事じゃないと思うんだけどなあ…」
首から下げたカメラをぐりぐりいじりながら綿貫は大きくため息をついた。
慣れた様子で大きな木に登る。
とん、とんと女の子にしてははしたない格好だがここはあまり人が来ない
所なので気にはならなかった。
「確かに新聞部には負けてるけど…プライドってもんがあるのよ、私には」
よっと、とか言いながら定位置の枝に足を乗せ、一気に体を引き上げる。
女の子一人の体重くらいなら十分支えられる枝らしく、少しきしんだが
すぐに安定した。
ふう、とまたため息を一つだけ。
景色と同化したように気配が消えた。
諜報部の切り込み隊長である彼女、綿貫響にとってはこのくらいは朝飯前だ。
いつどこに特ダネが転がっているかなんてわからない。
ベストショットをモノにするには必要なことなのだと部長から叩き込まれた。
しかし、鋭い目を四方に向けながらも綿貫は不満だった。
今回の部長からの指令にはどうしても納得できない。
「まったく、諜報部はマスコミじゃないっての…」
今回の部長からの指令。
それは『校内での恋愛事情調査』。コレである。
「そりゃ、最近さっぱり美味しいネタにありついてないけどさぁ…」
ぶつぶつと文句を絶やさないながらも、何かあったらすぐに飛びついていけるように
体はジャンプの準備をとっている。
体に染み付いた習性だった。
諜報部は今、廃部の危機に瀕していた。
新聞部と活動内容があまり変わらないのにさっぱり成果が挙がらないのが原因だ。
対して新聞部は常に新鮮で刺激ある記事を提供し続けている。
それは1年C組の橘玲の手腕あってこそのものなのだが、調査結果を見てみると
どうしても新聞部に劣っていることには変わりない。
それなら諜報部なんて必要ないじゃん、という声も上がりはじめ、今や少しの猶予もない
事態なのだ。
…だからといってこんな下世話な諜報活動なんて、綿貫はしたくはなかった。
素敵な恋はしてみたいと思うけど、なんか違う。
いくら皆が知りたがっていることだからって、これってやっぱり諜報部の仕事じゃないんじゃないかなあ。
「恥ずかしくないのかしらね…まったくもう」
枝の上から下を見下ろすと歩く人間の姿が豆のように小さく見えた。
わらわらと動くそれらを見ながらまた綿貫は嘆息する。
部長の言うことはわかる。自分だってこの部活が好きだし、廃部なんていやだ。
………
仕方ない、か。
「…あ。乙女と鈴音?」
この放課後、夕日の差す中で、クラスメイトの秋山乙女と白鳥鈴音を見つけた。
それなりに距離があり、さすがにここからあそこまで行くのは少し厳しい。
こんな時間に、何…?
仕方がない、と手際よく双眼鏡を取り出す。
さっきまでイヤで仕方がなかったのにもう活動体勢に入っている綿貫は、自分の体に染み付いている
習性に苦笑した。
双眼鏡から校舎を除くと、鈴音の言葉に乙女が顔を真っ赤にして怒っているようだ。
…何しゃべってるのかな。
本当に少しだが、綿貫は唇の動きから会話を『見る』技術も習得している。
少し申し訳ない気もしたが、これも諜報部の存続のため。ごめん!
心の中で謝ると彼女たちの顔ではなく、口元に双眼鏡をあわせると息を殺してじっと見入った。
あまりに集中していたので足元の枝がまた少しきしんだのに気づかなかった。
「…何言ってんだよ、おめーはッ!?」
「えー。だって、せっかく早乙女先生がまだ残ってるんだよ?
いつも部活終わったら早く帰っちゃうんだし、チャンスじゃない!」
満面の笑みで乙女に詰め寄る鈴音が妙にニヤニヤしている。
顔を真っ赤にして両手を振り上げる乙女が、妙にかわいらしく見えた。
「バ、バカか!私はあんな体育バカのことなんかなんとも思ってねー!!」
「ウソ!いっつも早乙女先生のことぽーっとした顔で見てるじゃない!」
「う…」
「今まで部活の時間のばしたのだって、先生と一緒に帰りたかったからじゃないの〜?
健気だねー、乙女は♪」
うりうり、と乙女のほっぺたをつんつんとつつく。
顔を真っ赤にしてうつむいて、乙女は何も言わなかった。
誰が見てもわかる。照れてる、というか、恥ずかしがってること。
そんな態度は、鈴音じゃなくても早乙女のことが好きだって言ってるようなもんだと
すぐにわかりそうだった。
「う、ううううう…」
「…乙女?」
「…もう、知らねぇーッ!帰るッ!!」
「あ、乙女!まってよー!早乙女先生もうちょっとで仕事終わるよー!?」
「うるせぇ!!早乙女なんか私と全然、なんの関係もないもん!
ないもん!!…ぐす、…うわーん!」
「お、おとめー!廊下走っちゃ危ないよー!?」
目に涙をためたまま走り去る乙女を追いかける鈴音は、そんなときでも
やっぱりどこか楽しそうだった。
二人がいなくなると、校舎から人気がなくなった。
「…ふーん」
かちゃ、と双眼鏡を胸元にしまいこむ。
完全に会話を把握したわけではないが、どうやら乙女が早乙女を強く意識している、という
ことはわかった。
鈴音のからかう調子と乙女の反応をみると、どうやら相当ご執心のようだ。
「乙女が早乙女先生をねー…なんか見ちゃいけなかったかな…」
早乙女ははっきりいって人気がある。それも、女子に。
体育教師ということと、彼自信の人柄が手伝って頼りになる先生だと思われているし、
見た目もまずまず…いや、格好いい部類。何があっても一直線なスタイルは男らしく、
トボけた性格もかわいらしいと評判だ。
小さい規模ながらファンクラブもあるという噂もあるくらいだった。
しかし。
「…そんなにいいかな」
綿貫はそんな自分のクラスの担任がそこまで人気があるのがイマイチ釈然としなかった。
もちろん、嫌いではない。むしろ、いい人だし好きなほうだと思う。
でも、男性としての魅力ってそんなにあるかなあ…?
失礼なことを考えていたときだった。
べき。
「え」
べき。べきべき。
「うそ…!枝…!!」
…そういえば最近考えないようにしていたが、体重が芳しくないことになっているのを忘れていた。
あー、こんなことならさっきチョコパフェなんて食べるんじゃなかったなあ…
現実逃避にそんなことを考えても、重力の法則には逆らえなかった。
「……き、ゃああああああああああああああああああああ!!」
「あ…ぶない!!」
べきべきべき!
べたん!!
「…うく…あ、いた…」
…あれ?…あんまり痛くない?
あんな高い枝から落ちてこんなもの…?
「あー、つつつ…綿貫、大丈夫か…?」
「!!」
自分のお尻の下には今迄考えていた彼。
最近体重が増えたことをここで初めて、本当に後悔した。
「早乙女先生!!」
1年B組担任、早乙女だった。
「先生、大丈夫…?」
「う、く…ま、まあ大丈夫だから、心配するな」
大丈夫、とはいっても肩のあたりをおさえ、痛そうな顔をしている。
…あのまま落ちていたら、ただではすまなかった。
自分の身を挺して、という話はよく聞くが、まさか自分なんかのために
本当にそんなことをしてくれる人がいるとは思わなかった。
「…で、でも」
「いいから。お前が無事ならそれでいいんだよ」
「!」
痛そうな顔をしているがなんとか笑顔をつくり、頭をぽんぽんとやさしくたたいてくれた。
思わず胸が高鳴った。
…あ、いや。
違う違う。
こんなの、男の人に親切にされたのがはじめてって言っていいからで。
勘違い勘違い。
うん。
まだドキドキしてる胸をおさえて、無理やり納得する。
こんな漫画みたいなイベントで…うん。それはない…はずだ。
「…! う…」
「! 先生!」
なんとか笑みをつくっていたが、肩をおさえうずくまってしまう早乙女に綿貫は
焦りを隠せなかった。
汗が浮かび、苦痛に顔をゆがませているさまは、綿貫の目にはとても痛々しく映る。
「え、と…え、と…あ、そ、そうだ!先生、つかまって!」
「え… あ、ああ…」
「よいしょっと…先生、痛かったらすぐ言ってくださいね」
どうしよう、どうしようと思っていたが、なんとか平静を取り戻して反対側の肩をかつぐ。
痛がるしぐさは見せても『痛い』とは言わない早乙女にまた少し胸の高鳴りを感じながら
ゆっくりと保健室に足を運んだ。
「…よっと。これでおしまいです。…あの、本当に大丈夫ですか?」
「あ、ああ。ありがとう。だいぶ楽になった」
「ひとまずの応急処置ですけど。あとでちゃんと病院いってくださいね」
「ああ」
綿貫が包帯を巻き終えるとようやく笑顔を見せてくれた。
たくましい上半身を見るとなんとなく恥ずかしくなって思わず目を背けそうになったが、
ドキドキする胸と格闘しながらなんとか。
役職柄、こういうケガが絶えないのでできるようにしておいてよかったと心から思った。
「…にしても、綿貫」
「はい?… …う」
かたかた、と用具を片付けながら早乙女の顔を見るとなかなかご立腹のようだった。
普段あまり怒るということをしない性格なのでたまに大きな声をあげるとすごく怖いのだ。
なんとなく空気を察し、びくびくしながら彼の隣の椅子に腰掛ける。
「…はい」
「まったく、何してたんだ!あんな高いところ登っちゃ危ないだろう!!」
「は、はい!あ、あの、その、部活で…」
「部活だからってもうあんなことはするんじゃない!
女の子なんだから、大怪我して嫁の貰い手がいなくなったらどうするんだ!?」
「よ、嫁ぇ!?」
思わずすっとんきょうな声をあげてしまう。
いや、彼があまりに突飛なことを言ってきて驚いたのももちろんある。
ただ今はそれよりも、いきなり『嫁』なんていわれたことに対する恥ずかしさ。
そして自分のせいでケガをしたのにそのことにはまったく触れず、むしろ彼女を
心配するあまりの怒りだということに驚いた。
ひとしきりお説教がすんで少しだけ気まずい沈黙が流れる。
彼の言うことはまったくの正論で反論の余地もなく、縮こまって謝るのが精一杯だった。
「ごめんなさい…」
「…ああ。 …もういい。もうあんな危ないことするんじゃないぞ」
「…はい」
幾度目かの謝罪の言葉を述べるとふっとやさしい顔に戻り、また頭をぽんぽん、としてくれた。
それが今の彼女には恥ずかしくてたまらなかった。
…あ。
もしかして。もしかして、これ、なのかな。
「あの、先生」
「ん?」
「その…他の生徒にもこういう風に頭ぽんぽん、てやったことあります?」
「? なんだ、突然…まあ、そうだな。たまにやるかな」
「何人くらいにやりました?」
「え…どうだろうな。でもうちのクラスのやつらならみんなやったかもな。
乙女とか『恥ずかしいからやめろ!』って言うんだけど…なんだか、やると嬉しそうな顔してくれることが
多くて、ついな。…う。もしかして特ダネとかいって『セクハラ教師』とか…」
「あ、いえ、そんなことは全然!」
そう。そういうことだったのだ。
この心があったかくなる笑顔で頭を軽くたたいてもらうのが、みんな好きなんだ。
してもらってると、なんていうか、安心できるっていうか…すごく、胸がきゅうっとした。
それはなんだかくすぐったくて、恥ずかしいけど。
でもそれ以上に『もっとして欲しい』って思える。
そうでなくても、彼がすごく優しいのは今、身をもって体験した。
今ならわかる。彼が人気がある理由。彼が好かれる理由。
それは、誰に対しても全力の優しさを向けてくれるからなんだ。
やましい下心とかぜんぜんない、彼なりの親愛の証。それが嬉しいんだ。
…乙女が夢中になるのも、わかる気がするわ。
この優しさをもし独占なんてできたら…それは、なんて魅力的な話だろうと頭のどこかで思った。
「そうだ!ね、先生先生!ちょっとスマイリーな感じで顔、つくって!」
「は!?い、いや、なんだ突然?」
「いいからいいから!はい、カウントとりますよー」
不意に思いついた。なんとなく、したくなった。
高めの台にカメラを載せると彼の隣に陣取り、無理やり気味に肩に両腕をまわす。
肩が痛いために動かすこともできず、あまりに突然のことに驚いたことも手伝って早乙女は
動けなかった。
「はい、スマイル!」
「あ、ああ?」
ぱしゃ。
「はい、ありがとうございまーす!」
「お、おい!その写真、どうするつもりだ!?」
「ん?ご心配なく。資料に使うだけですから」
「し、資料?なんの?」
「それは企業秘密ですって。安心してください。先生にご迷惑はおかけしません」
「本当だろうな…」
「信用してくださいって。そうだ、先生もいります?焼き増ししますよ」
「い、いや、いい。女の子と二人で写ってる写真なんて、少し恥ずかしいし」
「そうですか。…残念」
大事なものを扱うような手つきでカメラを再び首にかけた。
なんなんだ、という顔をしていた早乙女だったが、最後には何も言わない。
それはやっぱり、生徒を信頼してくれているからなのだろう。
自分より早くそれに気づいたクラスメイトが、ちょっとだけうらやましかった。
それともうひとつ。
…焼き増しした分、持っておいて欲しかったかな。
「それじゃ先生、私まだ仕事残ってるんで行きますね。
今日は本当にありがとうございました」
「ああ。もうあんなことするんじゃないぞ」
「わかってますよ。それじゃ、また明日」
がららら。
ぴしゃ。
「……………」
保健室のドアに背中をぴったりくっつけて、少しだけ天井を見上げた。
この気持ち…なんていうんだろう。
…………
「さて。さっさとしないとね。『仕事』」
大きく息を吐いて、綿貫は歩き出した。
現像室は、すぐそこだ。
「乙女、乙女ー!諜報部の新聞、見た!?」
翌週、朝。
寝ぼけ眼で教室に入るとすぐ聞こえてきた鈴音のメガホン越しのような大きな声に、
乙女は心臓が止まりそうになるほど驚いた。
「う、うっせーよ!!朝からビビらせんな!!」
「そんなことはどうだっていいの!新聞、見たの!?」
「あ?見てねぇけど…なんだ?何かあったのか?」
「あったんだよ!ほら、はやく見て見て!」
なんなんだ、と思いながら背中を押されて廊下の掲示板までつれてこられる。
なんだかやたらと女子がたむろしている。
鈴音が『あれ!』と指差したところに『諜報部新聞』とそのままな名前の新聞があった。
「なんだ、珍しく特集なんか組んでるじゃん」
「そう、それ!読んで読んで!」
「なんなんだよ…えーっと………………… はあああああ!?」
『桃月学園 女子が気になるあのヒト』
『1年生女子・Wさんのコメント…』
『私、この前早乙女先生に危ないところを助けてもらったんです。
怒られはしたんですけど、私のことをすごく心配してくれてるのがわかって嬉しかったです。
それで、最後にはもうするなよ、って頭を優しく撫でられちゃって…
最初は恥ずかしかったんですけど、最後にはもう…ああ、恥ずかしくて言えません。
早乙女先生、今はフリーみたいだからちょっと狙っちゃおうかな…?』
「…………………乙女?」
「…………………なんなんだよこれはぁぁぁぁぁぁぁ!!」
朝の廊下に乙女の声がこだまする。
頭を抱えて取り乱す乙女と、それをなだめる鈴音。
いつのまにか新聞を見ている女子の数はどんどん増えて、『わ、私も早乙女先生ねらう!』とか
『私が先だもん!』とか言っていた。
桃月学園の朝は、今日もにぎやかだった。
「ホントはいけないんだけど…ま、ウソは書いてないし、いいよね」
朝の諜報部室には誰もいない。
ペンを指先でくるくるまわし、次のネタを考えながら綿貫は楽しそうにつぶやいた。
1年生女子・Wさん。綿貫響。つまり、そういうことだ。
「乙女…きっかけはあげたからね」
あれを掲示したのは、半分は友人である乙女の背中の後押しをしてあげるため。
後押しというか、焚きつけたっていったほうが近い気もするけど。
もう半分は…
生徒手帳を開くと、最後のページにあの写真がはさんであった。
満面の笑顔の自分と、困ったような赤い笑顔の担任。
いたずらっぽい笑みを浮かべて軽く写真の担任に口付けた。
胸がきゅうっとした。でもそれが、なんだか心地よかった。
「でないと…」
ふんふん、と鼻歌を歌いながらかりかりと下書きを進めていく。
不意に手を止め、窓から見える1年生の廊下を見た。
また、乙女が両手をあげて何か言っているようだった。
それを見るとどうしてもこらえきれなくて、小さく声を出して笑った。
「私がライバルになっちゃうぞ?」
(終)